Art Coordinator / 今井 みはる氏
  
第2回目インタビューは本学の8期生で現代表現を卒業されたアートコーディネーターの今井みはるさんです。
今井さんは広島の廿日市にあるアートギャラリーミヤウチにて多岐にわたるマネジメントの仕事に携わっています。そんな今井さんに学芸員、アートコーディネーターのお仕事について教えていただきながらマネジメント業務に興味を持たれたきっかけについてなどをお話しを伺いました。

 
 
 
 
インタビュワー(以下、Q) :今井さんが所属されているアートギャラリーミヤウチはどのようなギャラリーでしょうか。

今井さん(以下、I): アートギャラリーミヤウチは、広島の廿日市にある医療法人みやうちの理事長が設立し、現代美術を中心としたオルタナティブなスペースとして多ジャンルに渡る活動をしています。2013年の9月にオープンし今年で4周年を迎えます。公益財団法人みやうち芸術文化振興財団が運営しており、私はその財団に学芸員として所属し、展覧会などのマネジメント業務(企画や広報、進行管理、デザインなど)に携わっています。美術館のような所蔵作品展や企画展、作家の企画による実験的な展示をはじめ、画廊のような作品販売、さらには地域のこどもたちに向けたワークショップのイベントも開催しています。美術館や画廊のような機能をもちつつ、新しい試みを支援したり、普段美術に関わりのない方々にも美術を楽しんでほしいというコンセプトで企画、運営をしています。また、できるだけ広島にゆかりある作家や作品を取り上げ、広島や廿日市からアートを発信する意味を考えたいと思っています。
 


“空気-微かなサイン-(2014)展示風景”

Q   アートマネジメントに興味を持ったきっかけを教えてください。

I  マネジメントに興味を抱いたのは大学院2年生(2005年)の時で、交換留学先のドイツのハノーファーで現地にいた先輩や友人と自主企画の展示をしたことがきっかけでした。大学在学中は美術展示を開催するとアート関係、もしくは身内の人しか来場しない印象がありました。しかし海外で展示を企画した時、アートと普段関わりのない現地の方々が多く来場し、彼らとのコミュニケーションを通じてアートの展示会場がオルタナティブなスペースとして機能することに魅力を感じました。
それらのことから日本でも普段美術に関わりのない人たちと展示などを通じてコミュニケーションを持つことが創作活動にならないかと、インターネットでアートプロジェクトをはじめとした地域密着型の展覧会をリサーチしていました。当時はアートプロジェクトという言葉を知らなかったので、ワークショップ、体験作品などという言葉で検索していました。検索をかけると取手アートプロジェクトをはじめとした幾つかの日本の芸術祭がヒットしましたが、リサーチを進めるとなんと現代表現研究室が始めようとしていた広島アートプロジェクト(当時は旧中工場アートプロジェクト)を見つけました。ちょうど帰国のタイミングと重なったため、広島に戻りそのプロジェクトの運営に携わったことが、マネジメントに進むきっかけです。

 
“広島アートプロジェクトWEBサイトリンク”
   
Q  卒業後の活動についてにおしえてください。

I  卒業後も研究室に助手として残り、広島アートプロジェクトに約8年間携わっていました。最初は、作品制作もしながら企画や展示の運営もしていましたが、正直作品をつくることが心身ともにきつく、外部のキュレーターの方々からもどちらかに専念したほうがいいとアドバイスをもらったことをきっかけにマネジメントに徹する決意をしました。助手の任期を終える2012年頃に、ちょうどアートギャラリーミヤウチがつくられるというお話をいただき、立ち上げから関わり、そのまま学芸員として就職しました。プロジェクトに携わっていた頃と変わらず、企画から作品の設営、来客対応、助成金の申請など本当に数多くの業務に現在も日々追われていますが、今は少しでも空いた時間は国内外問わずいろんな展覧会に足を運び、ギャラリーでの肩書きがあることも利用して他館の方など知り合いも増やすようにしています。でも、ミヤウチ以外で仕事をする機会をいただくこともあるので、肩書きや場所に縛られずフレキシブルにアートと関わり続けたいと思っています。

“被爆70周年記念事業「TODAY IS THE DAY:未来への提案」(2015)展示風景”

 

Q  現代表現を目指す学生、または在学中の学生に一言お願いします。

I  多くの作品を見ることはもちろん、現在どういった作品や展示方法が主流なのかを知ることも大事です。自分が興味をもったことに共通するもの、それらの分析や解釈をする行為を学生のうちからできるといいですね。リサーチで知識を増やしていくことも大事ですが、自分がどういった生き方をしていきたいかを判断するためにも、積極的に様々な経験をして客観的に自分自身の特徴を知ることをお勧めします。嫌なことでもポジティブに楽しむという時もありますが、何でこんなことするのかという疑問をもって回答をつくることが大事なポイントなのだと思います。アートの世界だけでもいろんなプロがいます。この世界は基本孤独な活動かもしれませんが、意外に人間関係がメインだったりもします・・・。相手のことを理解するためにも色んな状況を経験しておくと強くなれます(笑

 

今回インタビューいただいた今井さんがいらっしゃるアートギャラリーミヤウチでは魅力的な展覧会やイベントが開催されています。
広島では数少ないオルタナティブスペースなので学生の皆さんは要チェックです!またアートギャラリーミヤウチではインターンも募集中なのでアートマネージメントに興味のある学生は是非今井さんにメッセージを送ってみてください!

 
http://miyauchiaf.or.jp/

https://ja-jp.facebook.com/artgallerymiyauch/i




Artist / 平野 薫氏
  
第一回目は現代表現(旧空間造形)の一期生でギャラリー「SCAI THE BATHHOUSE 」に所属するアーティスト平野薫さんへのインタビューです。平野さんは2003年に本学の博士課程を修了後、大量生産でつくられた衣服からほどいた糸で人の記憶や痕跡をテーマとしたインスタレーションを制作されています。そんな平野さんに作品制作の裏側や学生時代の思い出について語っていただきました。

 
 
 
 
インタビュワー(以下、Q) : 衣服の糸を解体し紡ぐ作品「untitled」シリーズに至るまでのきっかけについて教えてください。

平野さん(以下、H): 修士に在学していた時、広島の作家さんのスタジオで開催した個展で、現在の衣服のシリーズの根幹となる作品を発表しました。その当時は寝ている時の自分の存在の不確かさをテーマとして、白い布でパジャマを4着つくり、特殊な塗料を塗ったそのパジャマを一晩づつ着て就寝し、自身の痕跡が残ったそのパジャマの縫い糸を取って解体した布を平面的に構成するという作品を展示しました。制作中、このパジャマを解体する際に出てきた縫い糸であるミシン糸に惹かれていることに気づきました。
当時はなぜ惹かれたのかわかりませんでしたが、真新しい糸ではない、痕跡が残る糸の形状に惹かれたのでしょう。その経験から、衣服を糸へと解体してみようと思いました。5年ほど着ていたパジャマを糸まで解体し、その解体した糸をベッドと絨毯にマッピングした作品を修了制作で発表しました。衣服の糸を解き、並べ替える事によって存在の不確かさや痕跡を再構築しようとしたのが「untitled」シリーズのきっかけです。
 

“pajamas” 2000

Q  大学在学中はどのようなことを心がけて制作されていましたか?また、当時の研究室のエピソードを教えてください。

H  在学中、鰕澤教授に教えを受ける中で、作品のコンセプトの重要性を叩き込まれました。そのため、常に自問自答しながら制作していました。コンセプトを探す手がかりとして、研究室の画集や書物を見たり、展覧会を見に行くことによってアートに対する理解を深めていきました。当時は作品制作に没頭している学生が多く、誰かしら大学で制作していました。また、研究室のメンバーとは家族のように仲が良かったです。授業外でも遠方まで展覧会を見に行ったりしていました。

 

Q  卒業後、どのようなプロセスを経てアーティストになったかを教えてください。

H 卒業後は、神奈川に引越し、アルバイトをしながら銀座の貸画廊で展示したり、公募展に応募したりして作家活動をしていました。転機となったのは、2006年に開催した東京日仏学院ギャラリー(現アンスティチュ・フランセ東京 ギャラリー)での個展です。東京日仏学院は、フランスの文化を日本に伝えるための場所で、空間の雰囲気がとてもよく、ぜひ私の作品をここで展示したいと思い、直接交渉して展覧会をさせてもらいました。
その展覧会の際に応募した第12回資生堂ADSP(若いアーティストの展覧会カタログを支援する資生堂のメセナ活動)に選出された後、「shiseido art egg」(資生堂が主催する若手作家の登竜門的コンペティション)で、「第1回shiseido art egg賞」を受賞しました。SCAIとの関係が始まったのもこの頃だったと思います。
その後、2008年にアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の日米芸術交流プログラムでアメリカに滞在した後、平成21年度の文化庁新進芸術家海外研修制度、平成22年度のポーラ美術振興財団在外研修員の助成を受けてドイツ、ベルリンのUniversität der Künste Berlinに研究生として在籍していました。そこから2015年までの6年間ベルリンに滞在しながら活動、現在は広島を拠点として活動しています。

“untitled -jacket-” 2008

 

Q  現在(2017年6月)はどのような作品を制作されていますか?

H 2015年にベルリンから日本に戻ってきて、2016年5月に2週間だけ岩国の郊外に滞在していました。その時、すごく久しぶりに大きな鯉のぼりが空を泳いでいる風景を目にしました。鯉のぼりは衣服ではありませんが、家族や子供に対する思いがその中には残っていて、鯉のぼりを糸へと戻すことでその中に浸染された時や記憶を遡り、と同時に家族の歴史や時さえも形にすることができるの出来るではないか。と考えました。
今年4月から5月にかけて、安芸太田町の「mm project」というギャラリーで、「コイノボリ サカノボリ」という個展を開催しました。会場である安芸太田町の、とある蔵の中に50年ほど保管されていた約5mの黒い鯉のぼりを素材とした作品を展示しました。現在は、その黒い鯉のぼりのペアの赤い鯉のぼりを解いています。

 

 

“untitled -koinobori-” 2017

Q  今後アーティストを目指す学生にアドバイスをお願いします。

H  難しいですね。(笑)
まず、アーティストってどうなったらアーティストなのでしょうか。作品だけで、ご飯が食べれたらアーティストだとするのなら、私はまだアーティストではありません。
現在の私がアーティストであるとして話をすれば、アーティストはとにかくサバイブしなくてはいけません。それには、作品だけを作っていても、すごく強運の持ち主や実家がお金持ちでもないかぎり無理でしょう。それに、アーティストってフリーランスなので、いろいろなことを自分でやらなくてはいけません。確定申告やら、航空券の手配やら、請求書をつくったり。。。作品づくり以外のことも、身につけていかなくてはいけないんですね。
いつも何かと戦っていて、安定とは程遠い、そして孤独。まったく良いところがないようですが、それによって自由だけは獲得できている。自由な立場でこそ表現できることってあると思います。とにかく険しい道のりではありますが、自分を信じてやり続けるしかないですね。